「隣の家の少女」 [映画]

スティーブン・キングも絶賛したという、
その凄惨さで問題作となった小説の映画化。

◆あらすじ◆
1958年のアメリカのとある田舎町。12歳の少年デヴィットの隣の家のルースのもとに、両親を亡くしたという美少女のメグとその妹のスーザンが引っ越してくる。デヴィットはすぐにメグに心を奪われるのだが、同時期、彼女らがルースによって虐待を受けていることを知る。
(Wikipediaより転載)


こういった映画は、拷問シーンが大きく取り上げられてしまうのは、
致し方ないのでしょうね。

でも、この映画はスプラッタホラーじゃないですから、
そういうのは抜きで書きます。
というか、その視点で語ると、
俺のダークサイドが出てしまうので(苦笑)
それはよそで書きます(笑)


以下、ネタバレ込みの感想。


見て思ったのは、集団心理や状況に飲まれる事の怖さ。


虐待したルースは明らかにダメな人間ですが、あえてルースの気持ちを考えてみます。
夫に逃げられた自分が許せなく、それが高じて女性すべてに憎悪を抱くようになってしまった。
ましてや息子たちは思春期を迎え、どんどんと男性(=逃げた夫)になっていく。
その息子たちが惹かれる、若く魅力的なメグが許せない。
さらに、息子たちが男になっていくという事は、肉体的な腕力では負けてしまうという事で、
それが顕著になるほどに強くなっていく「自分はこの集団の長だ」という自己顕示欲と、
「いずれ息子たちも他の女と一緒になり、自分から離れる」という孤独感。

それから、息子たち。
そんなルースに抑え込まれる事で、
彼らの男らしさは凶暴性に歪んでしまう。

そして、権力者(ルース)と肉体的強者(息子たち)が作った歪んだ世界に足を踏み入れたものは、
その状況に飲まれ、逆らえなくなっていく。
友人たちは普通じゃない状況に従う事で、共犯意識を持ち始める。


足の悪い妹スーザンは拷問される姉のメグに
「私のこと、恨んでるでしょ?私がいなければ逃げられるもの」と言います。
確かにスーザンがいなければメグは逃げ出せたでしょう。

メグの事を心配するデヴィットに父親は「男にも女にも深く関わるな」と語ります。
たった一人でも大人の男性が深く関わっていれば、
歪んだ世界はまた違うものになっていたでしょう。

すべてが負の連鎖を起こし、
悪い歯車は回っていってしまった。

こうして考えていくと、主人公のデヴィットが飲まれなかったのが、
不思議なくらいです。



デヴィットが回想の中で語る「本当の痛み」。

もちろん拷問されれば痛いです。
でも、やっぱり心の痛みが一番残るんです。
それは消えずにずっと残り続ける。
一生その傷と付き合っていくしかない。


そんな、こうして言葉にしてしまうと当たり前に感じる事を、
もう一度深く考えさせられる映画でした。


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