ラブリーボーン [映画]

昔、山田詠美のエッセイで、
「なぜ私は直木賞で、芥川賞ではないのか?と人に聞いたら、『あなたはちゃんとオチをつけちゃうから』と言われた」
というような内容を読んだ記憶があります。

そういう意味で、このラブリーボーンは芥川賞タイプです(笑)


ストーリーを簡単に言うと、
14歳で殺されたスージーが、天国の手前の世界で、家族や犯人の人生を見届けるという話。

娘を失い、その報復を考える父の暴走。
その暴走に耐え切れず家を出る母。
母の代わりに家事をするが、てんで出来ないファンキーな祖母。
事情はつかめてないが、見つめるスージーの気配は感じている弟。
スージーを殺した犯人に気づき行動を起こす妹。
殺されなければ、デートしていたはずの男子。
そして、スージーを殺した犯人の人生。

そんな自分のいなくなった世界をスージーは見つめ続けます。

いろんな人の想いが出てくるんですが、
俺は父親がスージーと作ったボトルシップを壊すシーンが、
一番胸を締め付けられました。
娘が突然消えた理不尽さ、
そして、それがうやむやなまま、なかなかケリがつかない事、
そんなどこにもぶつけようのない怒りが、
とても切なかったです。


この映画では、
スージーのいる天国の手前の世界がファンタジックな反面、
現世はエンターテインメント色がありません。
フィクション的要素は、
妹が犯人の家に忍び込むシーンくらいでしょうか。
その対比が逆に現実の曖昧さ、無情さを際立たせているように感じました。


ここからは、ラストのネタバレします。


大団円なラストにはなりません。
妹が証拠を見つけるものの、犯人は逃げちゃいますし、
逃げだす時に隠しておいたスージーの遺体を破棄したので、
スージーはおそらく発見される事はありません。
さらに、逃げた先で犯人は惨めな死に様をしますが、
それが家族のカタルシスになる事もないでしょう。

でも、家族は生きていくんですよね。
突然家族の一人を失った家族として、支え合いながら。

そして、スージーは最後に、
「やり残した事がある」と現世に未練を見せますが、
それは自分の遺体が見つかる事じゃなく、
好きな男の子とキスする事だった。


このラストで、
生きるっていうのはオチのない物語で、
人間ってのは感情の生き物、
そういう事なんだろうな、
と改めて思わされました。


最後には、スージーは天国へ旅立つので直木賞もあり?と思ったけど、
うん、やっぱり芥川賞タイプです、この映画(笑)





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